藤のルーツ 第18回

藤女子大学の誕生

札幌藤高等女学校創設から36年を経た1961年、いよいよ北海道初の四年制女子大学である藤女子大学が誕生しました。当時の日本における四年制大学への進学率は、男子が15.4%で女子は3.0%でした。当時の北海道内の四年制大学は、北海道大学、学芸大学(現在の教育大学)、室蘭工業大学、そして私立の北海学園大学(1952年開設)、酪農学園大学(1960年開設)があり、いずれも殆どが男子の教育といってもよい状況で、女子の四年制大学進学希望者は本州に渡らなければなりませんでした。向学心に燃えていても、経済的な事情で諦めなければならない多くの女子がいたのです。
 
北海道内に、女子の学べる四年制大学を開設してほしいという要望が、藤女子短期大学学長のシスター牧野キクのもとに数多く寄せられ、当時の理事長シスター?クサヴェラ?レーメと学長は、四年制大学の開設を決断したのです。矢野隼輔教授と落合健一教授に申請書の作成を依頼し、文部省と折衝にあたりました。英文学科と国文学科の2学科のみで、入学定員がそれぞれ50名、総定員400名の小さな大学です。短大英文科竹森健夫教授、国文科宇野親美教授が、それぞれ英文学科?国文学科の構想を練り、教師陣の人選に力を尽くしました。1960年9月1日に「藤女子大学設置認可申請書」を文部大臣に提出し、認可されたのが1961年3月10日のことでした。

設置認可が遅かったため、準備を整えて待っていた入学試験を急ぎ行い、合格者を選抜しました。開学と同時に2年次生の編入試験もあり、短大1年の修了者、2年を終えた卒業者など、両学科にそれぞれ30名近い編入生が入学しました。1925年高等女学校開校時の校舎が大学の校舎に利用されましたので、私はその校舎で中学1年から高校2年の2学期迄、および大学の4年間を過ごすことになりました。設置認可の前に文部省から実地調査に来られた先生のお一人が、「趣のある建物ですね」とおっしゃってくださったそうです。本当に貧しい校舎でしたが、よく床も磨かれていました。

開設されていた科目数は少なかったのですが、北大からの先生が何人も教えてくださいました。シェークスピアやチョーサーも読みました。英詩、小説、エッセイ、英語学、英語史などなど、古典的な学修体系の中で高尚な学びです。英文学科には鹿児島弁の先生もおられましたし、国文学科には京都弁の先生もいらっしゃいました。カトリック大学ですが、国文学科に仏教の僧侶の先生もいらっしゃいました。

小さく貧しくはあっても、精神的に豊かな女子大学の誕生です。

藤女子大学開設時の教師陣(短大の教師も一部含む)
藤女子大学開設時の教師陣(短大の教師も一部含む)