藤のルーツ 第19回

時のしるしに応えて

戦後の社会再建のために多くの男女人材が求められている時代に、藤学園は専門学校?短期大学?四年制大学と、向学心に溢れる多くの女性たちに高等教育の機会を提供しました。

初代学長の牧野キクは、1947年に専門学校を設立した時に、大学をつくる構想を抱いており、家政学部開設の夢を抱いていました。その時には実現しなかった初代学長の夢を、40年ほど後に実現する時が来ました。

文部省から北16条校地が設置基準上の中心校地不足であることが指摘され、校地を取得するよう求められたため、2代目の山下学長の校地探しが始まりました。その当時は、政令指定都市に大学開設や、学部学科の増設、定員増などの認可申請を行うことは認められず、札幌市外に土地を求める必要がありました。幾つかの候補地の中から現在の花川校地に決定し、5万坪の広大な土地を購入したのです。

また、北海道内には管理栄養士を養成する施設がまだ存在していなかったこと、さらに高等学校における家庭科の男女共修必修計画の中で、高校家庭科教員増の需要が生まれたことなどの条件の中で、花川に家政系の学部を開設することを決めました。しかし、厚生省は北海道での管理栄養士養成施設早期開設を望みましたが、文部省は20年以上もその種の認可をしたことがない、という前例踏襲の悪弊の中で道が閉ざされ、1992年の学部開設時には、管理栄養士養成施設として開設できず、やむなく栄養士養成施設として開設したのです。しかし、その僅か数年後の文部省担当官の不祥事をきっかけに文部省の姿勢が大きく変化し、1995年12月に道内初の管理栄養士養成施設として指定されました。

四年制大学の志願者が増加する一方で短大の志願者は減少し、女子の四大志向が著しくなってきたことを考慮して、2000年に両学部に1学科ずつを増設する改組転換によって短大を廃止することを決めました。入学定員の総数は減少ですが、総定員は増加です。18歳人口の減少期が始まってきていましたので、先取りした結果です。この時にも、時のしるしを見て、道内私大で初めて四年制大学の幼稚園教諭一種免許課程を設けました。

「時のしるし」に対応しながら歩んできた過去を振り返り、現在の驚くべきスピード感のある時代に、遅れずに歩んで行く知恵と勇気を失いたくないと思います。

1992年6月13日 人間生活学部開設式
1992年6月13日 人間生活学部開設式
花川校舎の誕生
花川校舎の誕生